「貸して」と言われて貸せないのはダメなこと?子どものおもちゃの貸し借りの場面で大切なこと。

優しい育児
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子どもと一緒に過ごす中で、

友だちの子どもや、親戚の子どもとの集まり、支援センターなどの公共施設などで

子ども同士がおもちゃの取り合いになる場面が、多々見られると思います。

これは保育園でも1日の中で頻繁に起こり、丁寧な対応に心を遣いました。

なかなかうまく解決に至らないこともあり、大人もちょっと頭を悩ませることもあるのでは?

今回は、子どものおもちゃの貸し借りの場面の対応において、私が大切だと思うことをまとめてみました。


子どもの気持ちを想像する。貸したくない‼︎も大切な気持ち

まだうまく対応できない子どもに、大人が代わりに

「貸してあげようね」

「いいよ」

などと促すことがあるかと思います。

人間関係において、譲り合いは必要です。

子どもはおもちゃを介して、

他者の存在や自分の思い通りにはならないこともあるのだということを体感していくと思います。

でも、こんなことも思います。

貸せること=偉いこと、良いこと

貸せないこと=ダメなこと、良くないこと

という風潮があるとしたら、それはちょっと厳しいのでは?と。

「貸してあげなきゃ!」と強く言ったり、

「もう沢山遊んだからそろそろいいよね?」

なんて、勝手に決めつけるのもちょっと違うような気がしてしまいます。

“貸したくない‼︎”も大切な気持ちです。

貸したくないと思う気持ちには…

  • それだけそのおもちゃで集中して遊び込んでいる
  • そのおもちゃに愛着を持っている(大切にする心)
  • これからの遊びに構想を持っている(そのおもちゃを使った)

など、色々な子どもなりの気持ちがあると思います

これらの気持ちを持つことは、素敵な成長の表れですよね(^-^)

自分の状況に置き換えてみる

例えば…

私が、今すごーーく、調子良くこのブログの更新作業をしているところに、突然

「そのスマフォかーーしてっ^_^」と誰か知らない人が言ってきたらどう感じるでしょうか?(スマフォでやっています)

私は、「そんな!知らないあなたに突然奪われるなんて無理です!」と思うとおもいます。

そんなことより、早くこの作業に集中したい!と。

もちろん、それとはちょっと話は違うでしょ。ということは分かります。

しかし、子どもにはそんな細かいことはわからないと思います。

子どもにとっては、そのくらいの苦痛を感じることだと思うのです。

まずはベースとして、そんな子どもの心を理解する気持ちが大切だと思います。

モンテッソーリ教育からみる自己充実の必要性

短大の保育学科での講義で学んだことなのですが、

世界で知られる教育法の1つ、モンテッソーリ教育での考え方では、

社会性や道徳心は、元々子どもの中に備わっているものであり、

自己が満たされてこそ、その内にあるものが発揮されると考えられています。

つまり大人が

貸してあげなさい

優しくしてあげなさい

人のことも考えなさい

と教え込むよりも、

充分に好きなおもちゃで遊んだり、

しっかりと集中して自分の中での遊びを完結させたり

自己を充実させることによって、はじめて

貸してあげよう!あの子も使いたいんだ!

相手のことを考える気持ちのスペースができるのです。

大人だって、自分に余裕が生まれたときにこそ、優しい気持ちが自然と滲み出てくるものだと思います。

子どもの貸したくない!に寄り添いながら…

子どもが、おもちゃを貸したくない!という状況になったときは、まずは

「今はすごい集中しててこれで遊びたいみたいだね、ごめんね(;_;)」

というように貸したくない子どもの気持ちに寄り添った言葉で、相手のお子さんに伝えてみると良いと思います。

子どもも、いきなり「ほら!貸してあげなよ!」

と言われるよりも

“自分の気持ちをわかってくれている”

そんな空気があることを

感じてくれるのでは?と思います。

一旦は、しっかりと気持ちを受け止めて

子どもの遊びを(学びを)守ってあげられないか?という気持ちを持つことが必要かなぁと思います。

もちろん、貸して欲しい側の子どもの気持ちにも寄り添うことも大切ですが

貸さない子ども 対 貸して欲しい子ども

となったとき、

貸さない子どもが、どうしても悪者のような扱いになりがちなような気がするのです…。(ちょっと大げさな言い方をすると(^^;))

貸して欲しい側にも、貸したくない側にも

どちらの気持ちにも寄り添う心が大切だなぁと思います(o^^o)

また、コロコロとその立場は逆転もしますしね(^-^)

強要されることで起こりうること

子どもは、共感の心を全面に出して接したほうが

心が落ち着いて、そのあとの行動に良い影響を与えることが多いと感じます。

「ほら、貸してあげて!」

怖く言われて渋々貸したとします。

そのことにより、子どもに強いストレスがかかったとしたら、

そのあと、ストレスを発散しようと(無意識に)

落ち着きがなくなったり、優しい気持ちを持てなかったり…となっていくかもしれません(>_<)

このようなことは、その場限りの話ではなく、長期的に影響を及ぼしていくものだと思います。

優しい心、相手を思いやる心、安定した心は

心が満たされて

自己充実の中から生まれるもの

人は、優しくしてもらった(共感してもらった)経験から、優しさを学び

充実の気持ちから、心を強くすると思うのです。

なかなか難しいこともあるかと思いますが、

この視点を持って、

おもちゃの貸し借りをはじめ、

子どもの行動をみていくことが大切なのかなぁと私は思っています。

大人の心にも寄り添いながら…

とはいえ、

大人の心に余裕がなかったり、

子どもとのやり取りがスムーズにいかなかったりすることもあると思います。

また、大人同士の関係性や、その場の雰囲気に応じた対応をする場合もありますよね。

周りの人への配慮や焦りの気持ちから

「貸してあげて!」と強く言ってしまうこともあるかもしれません。

けれど、実際に対応が上手くできなくても、それはそれで良いと思うのです。

いつも理想的な対応や育児をするなんて不可能なことです。

それでも、

知っているか知らないか、共感しようとする心があるのか、ないのか

この違いは大きいと思います。

子どもの心になるべく寄り添いたいと願いながら…

そして…

自分の心にも寄り添いながら、

その都度自分がしっくりくる落とし所を探していきたいと私は思っています。

毎日が手探りな日々です(o^^o)

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