子どもの自信を失わせた話②目に見える姿だけが真実ではない

過去の経験から感じたこと
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前回の続きです。↓(前回の話)

子どもの自信を失わせた話①大人の言葉の威力
私は、小学校の途中から高校生まで全然勉強をしなかった。こう聞くと、不真面目?不良?などという想像をするかな?と思うのですが、そういうことではなく、沢山のことか絡み合った複雑な感情によりずるず...

小学生での出来事をきっかけに、すっかり勉強に対するイメージが悪くなってしまった私。

そして、思春期を迎える頃には、更に羞恥心や自意識過剰が加速していきました。

中学生の頃って何故か、

不良=ちょっとカッコイイみたいな、謎の考えありませんでしたか?笑

私の中では、

勉強しない→→ちょっと不良みたいでカッコイイので恥ずかしくない

勉強する→→またできない姿を晒して恥ずかしい

というように、

勉強をしない恥ずかさより勉強をする恥ずかしさ

が常に勝っている状態でした。

宿題もやっていかなければ、間違えることもないし、授業も取り組まなければ、聞いてもわからない自分と向き合わなくて済むのです。

自分の弱さを隠すために、強がりを言ってしまう心理ですね。

友だちには、「勉強なんてダルいよ、めんどくさいからやりたくないよ」とカッコよく(?)言ってのけて、心の中ではブルブルと震えていました。(相当な怖がり)

子どもだったあの頃、ただ辛いことから逃れることだけに必死で、自分には勉強は無理なのだいう思い込みから抜け出すことができなかったのだと思います。

こんなふうに、勉強しない子どもの心は

ただ勉強が面倒でつまらないからやらない!という単純な理由だけではないかもしれないのです。

なかなか理解できないことへの焦り、大人の顔色、自分はダメなんだ苦手なんだ!という思い込み、恥ずかしさや、トラウマ、その他の悩み

色々なことが 絡み合った結果かも。 

中学のときの担任の先生は私に

「おまえは何もがんばってないな」

と言いました。

果たして私は何もがんばっていなかったのでしょうか。

私はそのとき、相手の一部分しか知らない人に対して、そんな悲しい言葉を言う大人にだけはなりたくないと思いました。

人は、弱くて複雑ですよね。

目に見える姿だけが真実ではないのです。

だから私は子どもの心の奥の奥を見つめて、

子どもに添ったプラスの方向を示せる大人でありたいなぁと思っています。

子どもの本当の心が埋もれてしまわないように。

あなたは今どんな気持ちなの?を大切に。

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子どもたちが、のびのび本当の心で生きることのできる世界を大人が作っていきましょう♪

(*´∀`*)♪

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